英.ホームステイ

1回目

毎年、夏がくると遠い昔の英国生活を思い出す…。
そんなわけで、以前書いたホームステイ話の続編を書こうと思う。

オーストラリアから帰国した僕は、本格的に英語の勉強をやり直すことにした。
理由は、「オーストラリアの家族たちとコミュニケーションがとれるようになりたい」のが80%。
残りの20%は、オーストラリアで喧嘩を売ってきたQにリベンジするためである(汗)。
この相反する2つの動機のおかげで、僕は3日坊主になることなく英会話の勉強を継続することができた。
当時は、全く英会話ができなかったので、NHKの「とっさの一言」を録画して暗記する毎日だった…。

前回の「ホームステイ・オーストラリア編」にも書いたが、本来、僕がホームステイすべき国は英国である。
そして、大学には行かずにバイトばかりしていた僕は、着々と英国ホームステイの準備をしていた…。
短気留学、ホームステイには、いくつかのタイプがある。
大学の海外の姉妹校へ行ったり、民間の留学センターに斡旋してもらったり、友人の紹介で行ったり…。
語学習得がメインだったり、文化交流がメインだったり、目的も様々だ。
僕は、前回と同じ民間の留学センターに申し込んだ。
そのとき神に祈ったのは「そのコースにはQがいませんように!」だった…(大汗)。
何故なら、Qも「次回は英国へ行く!」と宣言していたのだ…。

出発当日、また僕は少し早めに成田空港の出発ロビーの集合場所に着いた。
まだ他に誰もいなく、僕は一番乗りだった。
自宅から空港までは、渋滞がなければ高速道路を車でとばして約30分ほどである。

集合時間が近づいてくるにしたがって、次第にホームステイ申込者が集まってきた…。
しかし、集まってくるのは今回も女子大生ばかりで、男性がいない…。
僕は内心あせった…、ま、まさか、またハーレム状態?(汗)。
い、いや、「また女の中に男が1人」状態…?
そして、前回の嫌な記憶が蘇ってきた…(汗)。
機内に乗ってからも、周りの席を見回してみたが、やはり男は僕1人だった…。
しかし、そんなことよりも「天敵Qが存在しないこと」を確認した僕は安堵しながら眠りについた…。

どれだけ眠ったのだろうか…?
東京‐ロンドン直行便のフライト時間は約11時間、まだ雲の上である。
しばらく、ボーとしていると隣に座っていた女子大生Hが話しかけてきた。
地味な感じだが、よく見るとカワイイ系の19歳、今回が初海外ということだった。
僕は特にやることもなかったので、Hとたわいもない話をして時間をつぶした…。
それにしても、初対面だと共通の話題を探すのが大変である(笑)。
多分、向こうも同じことだったと思うが、Hは大学生活の話をふってきた。
そして、僕が「社会学専攻だよ」と言うと、いきなり専門的な話題に突入!(驚)。

おいおい、バカ学生の俺に専門的な話をしないでくれよ…(汗)。

そのうちHの通っている大学は美智子様系、中学高校は雅子様系、
自由が丘在住、親は会社経営などということがわかってきた…。

ゲぇ、こ、この、お嬢様パターンはQに似ている…(大汗)。
ま、まさかQの再来???

僕はHにビビリ始めていた…。


夕刻、僕の乗った飛行機はロンドンのヒースロー国際空港に到着した。
僕にとって英国は、タイ、シンガポール、ハワイ、オーストラリア、NZの次に行った6番目の国だ。
夏の英国の昼は長く、まだ外の景色は明かった。
僕は送迎のバスの車窓から、初めて見る本物の英国の建物に驚き、
それを楽しみながらも期待と不安が交差するのを感じながら、
前回と同様に冷ややかな目で、はしゃいでいる女子大生たちを見ていた…。
ただ前回と違うのは、「この女子大生たちは相手にしない」と心に決めたことである(←お前何様?)

僕がステイした街はバンブリー(BANBURY)…、学問の中心地オックスフォード郊外の住宅街である。
オーストラリアとの大きな違いは、オーストラリアが完全なボランティアだったのに対し、英国は有料の下宿。
下宿といっても、家は一般的な英国のテラスハウスで1Fがキッチンとリビング、2Fのベッドルームが3室。

また、オーストラリアのファミリーにとっては、僕が初めての学生だったが、
イギリスのファミリーでは、僕は通算何人目になるのか不明、日本人では3人目だった…。
良くも悪くも、学生の扱いには慣れているファミリーだった。

Daddyはナイジェリア移民の黒人、職業はナイトクラブのボディガードで夕方から仕事に行き、朝帰宅。
いつも時間的に行き違いになってしまうので、あまり交流はなかったが、とても陽気な人。
イメージは、からくりTVに出てくるボビー。
Mannyは白人のブロンド英国人、元気で恰幅がよく下宿のおばさんって感じ。
化粧が濃いが、痩せていたときは美人だったと彷彿させてくれる(笑)。
子どもは4歳の女の子と1歳の男の子。
他の下宿人はUAEの男子学生1名、見た目30歳、実年齢20歳(笑)。
普段は寡黙でいい奴だが、宗教の話題になると危ない奴に豹変する…(大汗)。
ちょっと、コワイ。。。
バンブリー
僕にとって2回目のホームステイとなる英国生活…。
初回のオーストラリア生活に比べると、僕の心に余裕があった。
やはり外人慣れしていることが一番大きい…、何事も経験である。
まず、オーストラリア生活と英国生活の大きな環境の違いをあげてみる。
「お国柄云々」ということではなく、僕を取り巻く環境のことで…。

★僕の英語力

・豪国…自己採点100点中5点。挨拶レベル。
自分のレベルが低すぎて、相手がゆっくり話してくれても理解できなかった。

・英国…自己採点100点中25点。海外旅行レベル。
簡単な質問や会話はできるが、話す英語は短文。

★ホストファミリー

・豪国…大邸宅。完全ボランティアで受け入れてもらった。
家族にとって僕が初めて受け入れる学生。

・英国…一般的な英国テラスハウス。有料。
学生を受け入れて生活費を稼いでいる為、僕は日本人で3人目、通算で何人目かは不明。

★休日

・豪国…無料で受け入れてもらっている為、家族の一員としてホストファミリーと過ごすのが半ば義務。

・英国…完全自由。基本的にホストファミリーと学生の生活は別物。個人主義である。


豪国ホームステイの初日は、16km山中サバイバル夜間ハイキングに連れて行かれたが、英国では違った。
初日(土曜日)は時差ボケで寝ていただけだが、2日目の日曜日には早くもホストファミリーのお誘いで、

ぱんぱかぱ~ん♪ 初・LONDON行き決定!

豪国では超~ラッキーな家庭に当たったが、今回も初っ端からラッキーの予感がした。
初ヨーロッパ&初ロンドンである。
若造だった僕に興奮するな!という方が無理である。
僕はロンドンに向かう車の中で「地球の歩き方」をむさぼり読んだ…。
ビッグ・ベン、ウエストミンスター寺院、タワーブリッジ、バッキンガム宮殿、ロンドン塔…、
一体どこへ連れて行ってくれるのだろう…(ワクワク)。
車窓から見える景色は、いかにも英国的な風景だった。
僕は、本来ホームステイする予定だった英国の風景を見ながら感無量になった。

高速道路から出ると、そこは田舎のBanburyとは異なる世界…、ロンドンの大都会だった。
そして、ある区域までいくと、いきなり路上駐車し、全員が車から降りて歩き始めた…。
僕は、初ロンドンの地を踏みしめながら、ふと思った…。

ん? 何か違う。

そう、目に映るものはロンドンの閑静な(?)住宅街のみだった…(汗)。
ビッグ・ベン、ウエストミンスター寺院、タワーブリッジ、バッキンガム宮殿、ロンドン塔はどこ…?
"Where am I?"

僕は下手な英語でホストマザーに質問してみた…。
すると、返ってきた答えは、
“We are in Notting Hill.”

ところが、当時、英語未熟の僕…、

ガーン! ここはロンドンじゃなくてノッティンガム?

…と思い込んでしまった(大汗)。
この頃のリスニング力は、とても不安定で危険だった…。
つまり、何となく理解したような気になってしまうのである(汗)。
でも結果的には、ほとんど理解していないことが多い…。

言い訳するなら、当時、ノッティンヒルの地名を聞いたことがなかったし、ノッティンガムには、
ノッティンガム・フォレストという名門サッカーチームがあったので、都市名を知っていたのである。
BanburyからNottinghamまで、そう遠くはない…。

そんなわけで、てっきり「Nottinghamに来てしまった!」と思いこんだ、英国2日目の僕…。
本当に無知とはコワイものである。
「Londonに行く」という話も、きっと僕の聴解能力が低くて勝手に勘違いしたのだろうと思ってしまった…。
まさに、ネガティブ・スパイラルに突入である…。

ホストファミリーがノッティンヒルに来た目的は、カーニバルを見るためだった。
それは、ロンドンのカリブ系移民達が中心となって、
ノッティンヒル界隈をサンバのリズムに合わせて歩く情熱的なお祭り。
そして、それは熱気と派手さに溢れていて観客の目を引きつけるには十分だった…。
ロンドン
↑写真の構図からわかるように、僕らは勝手に塀によじ登り、特等席でカーニバルを鑑賞した。
バカと煙は高いところが好きなのである。
でも、おデ○のMammyは塀の下で待機…、見張り番(?)。
とにかく、こっちには、ボディガードが本職のナイジェリア系Daddyがついているのだ。
コワイものはない!ふふふ。

そういえば、オーストラリアのDaddyも筋肉の塊だった…(遠い目)。
英国Daddyと、どっちが強いんだろう?
ふと、不謹慎なことを考えてしまった…。

カーニバルが終わると、僕らはすぐに帰路についた。
路上駐車してある場所まで戻る途中、僕は地下鉄の標識を見つけた。
そこに書いてあった文字は「Notting Hill Gate」…。
僕の中に疑念が走り、すぐに帰りの車中で「地球の歩き方」を開いた。

あ、あった! Notting Hill Gate駅!

そう、帰る頃になってNotting Hillを、ようやく理解した僕だった…(アイタタ)。
その初ロンドンの鮮烈な印象が強くて、
ノッティングヒルの恋人「ノッティンヒルの恋人」という映画も、
僕が鑑賞した1000本以上の映画の中でBEST10に入ってしまうのである…(笑)。


当時の僕は本気で「英国=紳士の国」だと思っていた…。
しかし、実際は階級社会。
Mammyの話によると、Upper class、Middle class、Working classに分かれているそうで、
例えば、ジョン・メジャー元首相は”Working class”出身、首相になっても”Working class”のままだそうだ。
よく考えてみれば、悪名高きイングランドのフーリガンたち…、
「英国=紳士の国」なんて、とんでもない勘違いである。


英国生活3日目は…、初登校の日だった。
短気留学、ホームステイには、いくつかのタイプがある。
語学習得がメインだったり、文化交流がメインだったり、目的も様々だ。
僕が申し込んだホームステイは、オーストラリアの時と同様に文化交流がメインだった。

僕は某Collegeにある日本人クラスに入れられた。
授業は午前中だけで、午後はアティビティ活動と観光をし、英国を学んだ。
オーストラリアでの僕の目的は、「ホストファミリーとの絆を深める」だったが、
英国での目的は、ズバリ「観光」だった…。
オーストラリアとは違い、英国には電車で行ける観光都市が数多くあった。

オーストラリアの日本人クラスでは、生徒9名のうち、女子8名、しかも同じ大学のグールプが6名、
大きな派閥があり、バランスが悪く、Qみたな嫌な奴もいて、雰囲気も悪かった…。
この英国での日本人クラスでは、生徒14名…、女子13名、またもや男子は僕だけ…(汗)。
僕は、前回のオーストラリアの日本人クラスで懲りているので、最初から、

「名誉ある孤立政策」

…を実施することにした!
そう、女子学生なんかには関わらないのが1番!
僕は目的の観光地を制覇することに全身全霊で打ち込めばいいのだ!

そんなわけで、午前中の初授業では誰とも口をきかなかった…。
午後のExcursionは「Warwick」という街に行く予定だったので、僕は1人で学食に入り、昼食をとった…。
僕が1人で席に座っていると、近くから「ジュン!ジュン!」と僕を呼ぶ声が聞こえた。
声のする方を見てみると…、日本人クラスで見かけた女子大生3人組が手招きをしていた。
「1人で食べてないで、こっちに来なよ。」
彼女たちは、僕に微笑んでくれた…。

この3人組は、顔良し、スタイル良し…、教室でも目立っていた。
話を聞いてみると、女子大生モデルで、雑誌やテレビにも出たことがあるとのこと(驚)。
そして、プロ野球選手やJリーガーにも会ったことがあるらしい…。
そんなわけで、午後のExcursionの「Warwick」では4人で行動することになった。

BanburyからWarwickまでは、学校の小型バスで移動した…、つまり貸し切りである。
驚いたのは、バスに4人用の席があったことである(1つだけ)。
日本の快速電車なんかにもあるが、2人が進行方向に、残り2人が進行方向に背中を向けて座る。
そして、4人席の真ん中には大きなテーブルがあった。

行動的な3人組は、さっさと4人席を占拠(笑)。
この3人組…、かなり自信満々な強気のタイプである。
必然的に、僕は無口キャラになった…。
BanburyからWarwickまでの間は、大騒ぎで3人組の彼氏自慢大会…(汗)。
当時の僕は、「オーストラリア編」の冒頭に書いたように、彼女に捨てられたまま状態…。

こいつら、うるせえー。

…と思ったが、またオーストラリアのQみたいに敵にして、攻撃されるのも嫌なので男は黙って我慢(汗)。
「失敗から学べ」である。
学校の初日、14名中、残りの10名は静かにしているのに、この4人席の3人だけ大騒ぎ。

あぁー、僕も同じ穴のムジナ、と見られているんだろうな…。
それとも、面食いの嫌な奴だと、みんなに思われてしまったのかな…。

午前中は「名誉ある孤立政策」とか考えていたくせに、早くも人目を気にする典型的軟弱日本人の僕であった…。

Warwickは、Stratford-upon-Avonから8キロのところにある、ウォーリック城などを有する美しい街である。
Warwickに到着すると、すぐにウォーリック城へ向かった。
そこは、過去1000年を超える時の流れの中で、数々の歴史絵巻の舞台となった重厚な城である。
僕は初ヨーロッパ古城に興奮した…。
そして、中世の雰囲気あふれる城内を見学し、小塔や城壁の回りを歩いた。
ウォーリック
城内は写真撮影が禁止だったので、小塔や城壁の回りで写真を撮りまくった…。
その後は、城を囲む緑のウォーリックシャーのカントリーサイドの景色を堪能した…。
そこでも写真を撮りまくった…、本当に典型的な恥ずかしい日本人だった僕である(汗)。

僕が通った某Collegeの日本人クラス…、日が経つにつれて派閥グループなるものが形成されてきた…。
僕は、どこのグループにも属する気はなかったが、
多くのクラスメイトからは「例の3人組」の仲間だと思われていた。
この3人組…、(美形だが)下品でうるさいので、
他のクラスメイトたちから良く思われていないのは感じることができた…。
その証拠に、他のクラスメイトは僕に挨拶以外で話しかけてくることはなかった…。

この3人組のうち2人は友人同士で参加、特に親玉が強烈な個性の持ち主だった。
これからの日記には、親玉しか登場しないので、彼女をAとしておこう。
女子大生モデルで、テレビ出演の経験もあるAは、3人組の中で唯一の名門女子大生で英会話力もずば抜けていた。
そして「卒業したらスッチーになる!」といつも豪語!
自信満々な彼女であるが、授業態度を見ても、日頃からそれだけの努力はしている人間である…。
他の2人は悪い人間ではないが、遊び人で勉強嫌いで英語できない…(苦笑)。

日本人クラスの欠点は、生徒のレベルの差がありすぎることだった。
授業は上位レベルの生徒には簡単で、下位レベルの生徒には難しい。
オーストラリアではクラス最低レベルだった僕だが、
今回のクラスでは14名中、8-9位といったレベルまで上昇…。
少し勉強したかいがあって、箱根駅伝で言えばシード権獲得である(←意味不明?)
そのAのレベルは…、

ダントツで2位!

そう、誰もが認める銀メダルだった…。
では、誰が1位かというとThe homestay program(2-1)に登場した、お嬢様系19歳女子大生Hである。
今回が初留学とは思えないほどの発音、流暢さ…。
英会話学校にも通ったことがなく、中学のときから6年間、ラジオで勉強しただけとのこと…(汗)。
でも、誰もが認めるダントツ1位である。

そして、これにキレたのがAである。
休み時間に…、
「何で、年下のあのコが、私より英語がウマいのよぉ~、我慢できない~(ムキィー)」
…と発狂…(大汗)。
ちなみにAは駅前留学で有名な英会話学校の上位クラスにいるとのこと(ムキィー)。
僕には信じられないことだったが、勝手にAはHをライバル視していた…。
(でも、憎悪ではない)

こ、こんな強烈な個性の女性は、生まれて初めて見た…(大汗)

そして、僕はおもいきり引いてしまった…。
でも、Aのスゴイところは「Hに絶対勝つ!」と宣言して猛勉強を始めたことだった。
どうやら、何でも1番にならないと気がすまない性格らしい。。。

逆にHは超~真面目で、のんびりした癒し系の性格なので他人の攻撃などはしなかった。

こ、こんなに育ちの良い女性は、生まれて初めて見た…(大汗)

…という感じである。
恥ずかしい話だが、「実は日本にも身分階級がある」と思わされてしまった(汗)。
これから英国日記に登場する日本人は女子大生モデルAと本物お嬢様Hの2名の予定である。


まず、僕は「4人組」からの脱退を考え出すようになった…。
「4人組」…、中国の文化大革命期間中、 江青、張春橋、姚文元、王洪文みたいで縁起が悪い…(汗)。
そういえば男闘呼組も「4人組」だった…不吉だ…。
そもそも「4」という数字が良くないのだ…。

そして、心は「組を抜ける時の弱小チンピラ気分」のチキンハート…。 

「らいおんはーと」がほしい。。。
どんなオトシマエが僕に待っているのだろうか…(汗)。

ふふふ。でも、今回、勝算はあった。
オーストラリアでは大派閥があったため、宣戦布告で全員を敵にしてしまったが、
今回のクラスは、3つのグループに分かれている。
しかも、僕がいるAの「4人組」の印象は良くない。
仮に、Aたち3人が僕と反目しても、残りの2つのグループの10人はAのサイドには付かない、
…と僕は読んでいた(←オヌシも策士よのう~)。
「何事も失敗から学べ」である。

そして、その日はやってきた。
いつものように、午後のExcursionのバスで4人席を占領する3人組…。
しかし、僕は最後尾に座り、狸寝入り開始…(汗)。
「ジュン!ジュン!」と僕を呼ぶ声が聞こえるが、狸寝入り継続…(大汗)。
しばらくすると、「この裏切り者ぉぉぉぉおー!」と罵声で威嚇してきたが、死んだフリ…(激汗)。

ふふふ。お前らが騒げば騒ぐほど、無口控えめキャラの僕は同情を買うのだ。

そのときほど、「今まで猫をかぶっていて良かった」と思ったことはない。
人間、謙虚さが必要なのである。

さて恒例の午後のExcursionで行った先は「Stratford-upon-Avon」という街だった。
この街は世界的に有名な劇作家ウィリアム・シェイクスピアの生誕地である。
そして、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの本拠地として世界中から多くの人々が訪れている。
ここで見学したのは、シェイクスピアの生家 (Shakespear's Birthplace)である。
このシェイクスピアの生家は、エリザベス時代のストラトフォードによくあった木骨造りの家で、
修復してあるとはいえ、400年以上前に建てられたので、歩くだけでミシミシと音がした。
居間、台所、寝室を含めた半分の家屋は当時の家具で飾られていた…。
そして、残りの半分の母屋はシェイクスピアの生涯と作品に関連した展示がされている。

次に向かった先が、ロイヤル・シェイクスピア・シアター (Royal Shakespeare Theatre)である。
ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)は、3つの劇場で演劇活動を行っている。
・ロイヤル・シェイクスピア・シアター (Royal Shakespeare Theatre)
・スワン・シアター (Swan Theatre)
・ジ・アザー・プレイス (The Other Place)
ストラトフォード
僕たちは演劇鑑賞しなかったが、劇場の雰囲気だけは十分に堪能した…。
僕たち…、そのときの僕は、早くもHのいる育ち良い系グループと行動していた(汗)。
彼女たちは、バスの中の騒動を見て、僕に救いの手を差し伸べてくれた温厚穏健派集団であった。

Stratford-upon-AvonへのExcursionから、Hのいる育ち良い系グループと行動するようになった僕…。
話してみると、Hとはホームステイ先が近所ということが判明した(驚)。
僕はホームステイ先から学校までは30分くらい歩いて登校していたが、語学堪能のHは公共バス通学…。
これは単に英語下手の僕が、1人でバスに乗るのにビビっていたからである(苦笑)。

そして、Hの提案で、次の日から一緒に登校することになった。
まず、Hが僕のステイ先に迎えにくる。→通学路の途中にあるSのステイ先に寄る。→3人で歩いて登校…。
SはHと一緒に日本からやって来た「自由が丘」仲間である。

語学堪能なHは、すぐに僕の陽気なホストマザーと仲良くなってしまった。
おデブで陽気なMammyは、ジョークが大好きですぐに笑いをとろうとする人だった。
そして、男女ネタが大好き…(汗)。
学生慣れしているホストマザーの英語はとても聴き取りやすく、
ホストマザーと話していると自分の英語が上達したような錯覚になった…。
いつも帰宅し、”I’m home.”と言うと、Mammyは紅茶を用意してくれて、
僕にこう言うのだった。
“Did you make a girlfriend?”(彼女できた?)

英語が下手な僕が、”No.”というと、いつもMammyはこう言った。
“Don’t worry. You have 14 girls.”(大丈夫、14人の女の子がいるんだから…)

こんな感じで、いつもMammyとの会話が始まる(笑)。
Mammyといっても僕より15歳くらい上なだけなので、当時で30代後半である。
本当は、大きなお姉さんという感じだったが、英語下手な僕は、
「クリスティーン」と呼び捨てする勇気がなかった(汗)。
そんなわけで、ちょっと違和感をおぼえながらも、オーストラリアの時のようにMammy、Daddyと呼んでいた…。

そんなMammyは、Hが迎えにくると、僕の方を見てニヤリと笑い、Hにとんでもないことを言い出す…。
「ジュンは、帰って来ると、いつもHの話ばかりしているのよぉ~♪」(注:エロ話ではない)

おいおい、オマエは仲人のオバハンかい?(汗)

確かにMammyの話は100%嘘ではない…。
でも、でも、でも…

いつもアンタから、Hの話をふってくるんだよ!(注:エロ話ではない)

真相は、僕が帰宅すると、Mammyが紅茶を用意しながら、
「今日はHとどんな話をしたの?」「今度、食事に誘えば?」
「今度、一緒に出かけてくれば?」「何で口説かないの?」
…などと質問攻め…。
僕が「学校には2人じゃなくて、3人で行っているんだよ」と言っても、
Mammyは、アハハと簡単に笑い流してくれる…。

まあ早い話、MammyはHが恥らう表情や、僕がムキになって否定する表情を見て楽しんでいるのだった…。
でも、僕はそんなお茶目なMammyが好きだったし、一度も喧嘩もせずに仲良くやっていた…。


3人で登校するようになって数日後、僕はAのグループに呼び出しをくらった。
そして、Aが僕に言ったのは…、
「何で、HとSと一緒に3人で毎日登校してるのよ!(ムキィ-)」

おいおい、俺様に惚れてヤキモチかよ…

…と思わせる雰囲気は0%…。
「派閥の力学が大事」という雰囲気が120%だった…(大汗)。
この時期のAのグループは「3人組」ではなく、大学1年の女学生を2人吸収して「5人組」になっていた。
どういうわけか大学1年の女学生2人はAに心酔していた…。
まるで、新撰組での芹沢派と近藤派の派閥抗争みたいである(苦笑)。

そして、クラス内でAに宣戦布告して対立を始めたのが、新キャラのY。
Yは大学4年生で、14人の中で最年長である。
僕から見ると、Yは俗にいう「勘違い女」だった…。
この人、何でこんなに仕切りたがるの?って感じ(苦笑)。
学力、語学力は平凡、容姿も平凡だし…。
でも、服装だけは1人抜けていて、「アンタ、ファッションモデルかい?」とツッコミたくなるようなお洒落さん。
もちろん、余裕で洋服負けしていたが…(笑)。

先輩面が好きなYは、Aに対抗するために自分の派閥の大きくしていった…。
語学学校内でパワー持つ人間は、英語ができる人間である。
Yは、語学堪能なHのいる育ち良い系グループを吸収し、14人中8名の派閥を作りあげた。
つまり14名中、Yグループが8名、Aグループが5名、そして無所属の僕である。
YはAを敵視…、Aは「Yは眼中にナシ」、Hをライバル視…、Hはのんびりマイペース…。

僕はYが嫌いだったので、Yのいるグループには属さなかった。
でも、Aのグループにも帰る気はなかったので、
初心に帰り「名誉ある孤立政策」を実施することにした…。

さて恒例の午後のExcursionで行った先は「Coventry」という街だった。
Coventryは、イギリス中部のWarwickshireにある中工業都市で、
中世時代を物語る博物館や歴史的に重要な大聖堂がある。
第2次大戦中、Coventryには軍需工場が集中していたため、ドイツ空軍に徹底的に破壊された。
コベントリー
Coventryには、Coventry Cathedralという神秘的な大聖堂があり、
その隣には、Ruins(廃墟)と呼ばれる、ドイツ空軍に破壊されたままの教会が残されている。
そして、僕は1人、廃墟の中で瓦礫の十字架を見ていた…。
戦争の傷跡を前にして、人命の尊さについて考えていた…。

2つの派閥抗争の中、初心に帰り「名誉ある孤立政策」を実施することにした僕…。
あくまで自然体…、気分は永世中立国スイス…。

紹介が遅れたが、今回は新キャラとして学校の先生について書こう。。。
先生はフィリップという40代半ばの男性で、気も声も字も背も小さい…(苦笑)。
クソ真面目で学者肌の人物である。
午前中は英語の授業…、午後はExcursionの引率をしてくれる。
彼の授業は、活気がなく眠くなるような静かな授業…、
そう、大学の一般教養の講義に近い雰囲気だった…。

それにキレたのが、Hを追い越すために気合の入っているAである。
「もっと大きな声で話してください!」
「もっと大きな字を書いてください!」
…などと、コワイ顔でフィリップに要求…。
Aと対立するY軍団は「なに、あの言い方…」とヒソヒソ話…。
そして、おバカな生徒の一部は授業中に爆睡…。

授業は英語堪能なHとAを中心に進んでいった。
そして休み時間になると、見事に派閥に分かれてしまうのであった…。
フィリップは女子学生に話しかけることもなく、いつも1人で紅茶を飲んでいた。
しかし、そのうちフィリップは僕に寄ってくるようになった(苦笑)。

当時の僕の英語力は海外旅行レベル…、簡単な受け答えしかできなかった。
そんな低レベルの会話力の僕と話して楽しいのかな?
…と考えながら思い出したことがあった。

そう、ニュージランドで遭遇したホモオヤジである(大汗)。

登下校の時、Hに「ジュン君って、フィリップのお気に入りだよね、みんな言っているよ」と指摘されるほど、
フィリップは休み時間、午後のExcursion、いつも僕の隣にいた…(汗)。

その“Excursion”で行った「Cheltenham」は宮廷の香り漂う有名な保養地である。
白いテラスが続くプロムナード通りや、美しいインペリアル・ガーデン付近がチェルトナムの中心。
見どころは、ピットビル・パンプルーム Pittville Pumproomである。
古代ローマのスタイルを取り入れて1830年に建てられた社交場のホールで鉱泉水を飲むことができる。
でも、温泉の保養地なのでExcursionで行くところではないな…、と思った。
チェルトナム

そ、そして、ついに来るべきものが来た…。
ある日、フィリップは僕に言った…。
「今度の日曜日、ウチに遊びに来ないか? でも他の生徒には内緒だよ。」

ホ、ホ、ホモォー!(大汗)

もちろん、僕は丁重に断った…。
すると、フィリップは悲しそうな顔で言った。
「子どもが楽しみしていたのに残念だ…」

えっ? 子ども? 子ども有=ホモじゃない???

僕はフィリップに子どもの歳を尋ねると、「12歳女の子、10歳男の子」と判明…。
僕は、オーストラリアのホストファミリーの子どもたちを思い出し胸が熱くなった…(泣)。
ここ英国ホストファミリーの子どもは4歳の女の子と1歳の男の子、遊び相手には不足である。
「子どもたちに会いたいな…」僕はフィリップに言った。

そして、日曜日の朝、僕はステイ先から歩ける距離にあるフィリップの家に行った。
フィリップの家に着き、奥様や子どもたちに挨拶をするやいなや、全員で教会に行くことになった(驚)。
そう、この家族は献身的なキリスト教徒で日曜日の朝、全員で教会に行くのである。
無宗教の僕だが、ホノルルマラソン完走記念のお守りとして、毎日シルバーの十字架ネックレスをしていた…。
僕らが行った小さな教会には、街の人々が集まっていた。
フィリップは、そこで役職についているらしく、いろいろ指示を出していた…。
授業の時とは大違いである(苦笑)。

その小さな教会で、僕は聖書をもらい、赤ワインを少し飲み、小さなパンを食べた…。
賛美歌はわからないので、口パクをした…。
日本で「宗教」と聞くと身構えてしまうが、ここ英国では宗教が生活の一部になっていて、本当に自然体だった。
僕は、この本場の教会体験を一生忘れないだろう。。。

そして、フィリップの家に戻り、ブランチをご馳走になった。
出てきた料理はステイ先の料理とは違い、本格的な…

大きな鳥の丸焼き with グレービーソース♪

…だった(感激)。

うひょぉー、ローストチキンに英国ビール…、最高ぉ~!

僕は心の中で叫び、ホモ疑惑については心の中で真摯に詫びた…。
と、ところが、ビールはおろかアルコール類が全然ない。
あれ?と思っている間に、食前のお祈りがスタート…、
そして、食前の歌がスタート…、
またも口パクする僕であるが、5人しかいないのでミエミエであった(汗)。

僕は恐る恐る言った…。"Don’t you like alcohol?"
すると、奥様が「この家は禁酒、禁煙」だと教えてくれた。
ちなみに奥様は音楽の教師、この家庭は教師一家だった。

食事が終わると一家全員での団欒タイム…。
まず、フィリップ夫妻が僕にしてきた質問…、それは、
「天皇と将軍の違いを説明してくれ」…だった(汗)。

おいおい、そんな説明をできる英語力なんてねえよー!

…と悪態をつきながら、辞書と紙と鉛筆を使って必死に説明する僕…。

英語に自信のない諸君! 辞書の携帯は必須である! (海外での鉄則、その15)

やっと説明が終わると、どこからか折り紙を持ってきて、
「鶴の折り方を教えてくれ」…と言ってきた(汗)。

鶴なんて、折れねえよ!

…とまた悪態をつきながら、僕は笑顔で言った…。“I can't do that, because I'm a man.”
全く意味不明の答えだが、当時は低レベルすぎたので容赦してほしい(大汗)。

それにしても、英国Mammyと話の内容が違いすぎる…。
Mammyなんて、低俗な男女関係の話ばかりなのに…。
そういえば、ホストファミリーが教会に行ったり、お祈りをしたりするのを見たことがない…。
料理もパスタと茹で野菜ばかりだし…。

なんとも比較とは恐ろしいものである。
今までは料理のマズさやシンプルさについては、「これが噂の英国料理」と思い込んでいたが、
ローストチキンをご馳走になってしまうと、今度はローストビーフが食べたくなるのである…。
おぉー、これが、人間の性(サガ)なのか…?


フィリップの娘、ジョアンナ12歳…、かなり活発で陽気…、奥様似である。
フィリップの息子、デビット10歳…、かなり内気でシャイ…、フィリップ似である。
両親の躾のせいか、2人とも礼儀正しい良い子である。
家族団欒の中で、最初は黙っていた2人だが、しばらくすると僕に質問してきた。
“Do you know about Gary?”

ギャ、ギャリー…??? 誰それ?

子どもたちと話してみると、それはミスター・イングランド呼ばれた "Gary Lineker"のことだった。
僕の頭の中では、ガリー・リネカー、
しかも普段はリネカー、リネカーと呼んでいたので誰のことだか理解できなかったのである。
でも、これってよく考えるとかなり無謀な質問の仕方だ(苦笑)。
サッカー選手を例に出すなら、外国人に向かって、

ねぇ、ヒデ、知ってる?
ねぇ、カズ、知ってる?

…と言っているのと同じである。
まあ、子どもだから許しておこう(笑)。
このときから、Garyは「ガリー」じゃなくて「ギャリー」と言うようにした。
だから、"Gary Neville"は、「ギャリー・ネビル」で「ガリー・ネビル」ではない(笑)。

僕はサッカーネタが出たのを幸いに、子どもたちに「サッカーしようよ」と言い、
日が暮れるまで公園で、ずっとPK合戦をしていた…。
そして、うまくフィリップ夫妻の質問攻めからは逃げ、子どもたちとは仲良くなった。

英語に自信のない諸君! 外人との交流の為には「運動バカ」キャラになれ! (海外での鉄則、その74)

ふふふ。とにかく作戦成功である。。。
こうして僕はフィリップ家と交流を深め、ステイ先へ帰っていったのであった…。

このときの貰った「聖書」…、読んだことはないが「お守り」になっている。
自宅に変な宗教勧誘の人が来たときは、この英語版の聖書を取り出し、

「ウチは、チャーチ オブ イングランドです!」

…と断言し、宗教勧誘の人を追い払うのである(笑)。


さて、新キャラの登場である。
その名はイブラヒム、UAEからの留学生で、僕より1週間遅れて同じステイ先へやって来た…。

見た目は30歳、でも実際は20歳…、アラブ風ヒゲとメガネのせいか、とても老けて見えた。
彼は、とても内気な物静かなタイプだ。
でも彼の話す英語のスピードは早く、しかもアラブ訛りが強いので、
低レベルの僕には、ほとんど理解できなかった。
最初は彼の国籍も理解できなったくらいだ(汗)。

彼:"I'm form United Arab Emirates."
僕:"Pardon me?"
彼:"I'm form United Arab Emirates."
僕:"Sorry. I don't understand"
彼:"United Arab Emirates!"(怒)
僕:「知らねえよ、そんな国…」(←日本語)

「UAE=アラブ首長国連邦」ということは知っていたが、
「UAE=アラブ首長国連邦=United Arab Emirates」とは知らなかったのである(苦笑)。

このイブラヒム…、シャイなくせに、けっこう短気だ…。
ナメたら、あかん。

そして、イブラヒムはホストMammyに、あれこれ要求を言い出した…。
「宗教上の理由で豚肉は食べられない、肉は鶏肉がいい」

あっ、そうか彼はイスラム教なんだ…。

そのとき、僕は気づいた…(汗)
彼は僕が初めて会ったイスラム信者だった。
イブラヒムはホストMammyのことを「クリスティーン」と呼び、自分の主張や要求を押し通していた。
本当に大家と店子の「契約関係」状態である。
僕はMammyとは「契約関係」よりも「家族関係」を求めたので、家の掃除や皿洗いなども進んでやったし、
できるだけ部屋に閉じこもらないで、リビングにいるようにしていた。
民族性の違いなのか性格の違いなのかわからないが、

こいつ、ドライな奴だなー

…僕はそう思った。

挨拶と自己紹介も終わり、イブラヒム、ホストMammy、僕の3人はリビングで紅茶を飲みながら雑談をした。
そのとき、いきなりイブラヒムが言った。
"What religion are you?"

おいおい、海外では宗教の話題はタブーだぜ!

…僕が心の中で呟いていると、
ホストMammyは”Church of England”と即答。
仕方がないので、続いて僕も言った…。
"I have no religion at all."

すると、イブラヒムは「こいつ、信じられない~」というような表情で僕を見つめ言った。
彼:"You’re kidding!"
僕:"I’m not kidding you and am not interested in religion at all."
彼:"Really?"
僕:"uh-huh."
彼:"I think you can be a dedicated Muslim."(本気度120%)
僕:"W H A T ?" (驚)

それから、イブラヒムは「アラーの神」がどんなに素晴らしいか熱く語り始めた。
自分の言葉に陶酔してしまったらしく、次第に彼の声は大きくなっていった…。
よく見るとシラフなのに目が据わっている(ヒェ-)。
しかも、僕に向かってだけ話している(コエ-)

Somebody help me ~

しかし、誰も助けてくれない。
ホストMammyは呆れ顔をするばかり…。
そして、イブラヒムの演説は続き、最後に、

僕はアラーのためならいつでも死ねる! 
死は怖くない! アラーが守ってくれる!

…とシメ言葉でようやく終わった(大汗)。
5分後、イブラヒムは僕に英語で”Muslim”と書かれた冊子とカセットテープをくれた。
それをよく見ると、お祈りの時間に使う音楽テープと、祈りの言葉の英語版の冊子だった(激汗)。

こ、こんなのいらねぇー!

…と思った僕であったが、目の据わったイブラヒムにビビり黙って受け取ってしまった。
「もし、あのとき、拒否していたら刺されたかもしれない」と今でも思う(汗)。
宗教はコワイ…。

献身的なキリスト教徒、熱狂的なイスラム教徒、直に宗教に触れられた事が、
英国ホームステイで一番勉強になったことかもしれない。

熱狂的なイスラム教徒のイブラヒム…色々とやってくれた(苦笑)。
それは、彼が来た翌日の朝5時頃のことだった。
僕は異様な音楽で目覚めた…。

何だよ、うるせえなー

…とドアを開けて廊下を見ると、どうやら音の発信源はイブラヒムの部屋みたいだった。
やがて、ホストMammyも眠そうな顔で廊下に出てきた。
ホストDaddyはナイトクラブのボディーガードなので、家にはいない時間だった。
「音楽を止めなさい」と廊下からホストMammyが怒鳴ったが、音楽は止まらない。
そして、ついにホストMammyはイブラヒムの部屋に乗り込んでいった…。
ドアの外から僕が、部屋の中を覗きこんでみると、イブラヒムは礼拝をしていた。
神への感謝を捧げる礼拝は、夜明け・正午・午後・日没・夜半の1日5回するらしい
何故イスラム教徒はこれほど礼拝にこだわるのかというと、
偶像崇拝を禁ずるイスラム教では、日常生活の中で目に見えない神を意識し続けるのはかなり難しく、
だからイスラム教徒自身がアッラーとのつながりを常に意識し続けるため礼拝が大切にされてきた
…という話だ。

ホストMammy曰く、「礼拝は自由だが、もっと静かにやってくれ」ということだった。
イブラヒムは、ホストMammyに色々と反論していたが、
ホストMammyの「じゃあ、家から出て行って!」の一言でKO負け(笑)。
後でホストMammyが教えてくれた話では、イブラヒムは某ホストファミリーから追い出されてここにやって来たらしい。

朝食のとき、イブラヒムは僕に質問してきた。
彼:"Did you read the book ?"
僕:"Pardon me?"
彼:"I gave you Muslim bible last night."
僕:"Sorry. I didn’t read it"
彼:"Why"(怒)
僕:「徹夜して読めっていうのかよ」(←日本語)

おいおい興味のないイスラム教義(英語版)なんて読まねえよ~。
…と心の中で悪態をついていると、またイブラヒムが言った。
“Can I go to school with you?”

おいおい勘弁してくれよ。朝の登校時間は癒し系お嬢様HとSの自由が丘コンビと過ごす時間なんだよ!
しかし、”NO”と言えない代表的日本人であった僕は、曖昧に微笑み曖昧な返事をした。
そして、イブラヒムがトイレに入っている隙に家から脱出…、逃げた…。


帰宅すると、またイブラヒムは話しかけてきた。
彼:"Did you listen to the music?"
僕:"Pardon me?"
彼:"I gave you Muslim music tape last night."
僕:"Sorry. I didn’t …"
彼:"Why"(怒)

あまり共通の話題がないせいもあるが、彼はいつも宗教の話ばかりしてくる。
一つ屋根の下に宗教勧誘者がいると苦痛である。
当時、僕の英語力は低かったので、最後にはこう答えていた。
“My English is so poor. So I can’t read it.”

都合が悪くなると「英語ができないフリ」…、人種に問わず海外在住者の必殺技である(苦笑)。
つまり、都合が悪くなると「日本語ができないフリ」をする在日外国人と同じことをしていたのである。

しかし、イブラヒムはしつこい。
"Did you listen to the music?" "Did you listen to the music?" "Did you listen to the music?"

困った僕は、フィリップ(先生)に相談してみた。
しかし宗教学が専門のフィリップにとっては、僕の話が面白くツボに入ったみたいで笑うばかり…。
そんな不真面目なフィリップを見ながら、僕はあることを思いついた♪
そう、以前フィリップに貰った英語版「聖書」である。

そして帰宅後、僕は「アイ ビリーブ イン チャーチ オブ イングランド!」といきなり宣言した!
そのとき、ホストMammyも「ジュンは、日曜日の朝、教会に行っているのよ」と援護射撃をしてくれた。
それからはイブラヒムの宗教勧誘はなくなった。
そして、彼は礼拝の時の音楽をウォークマンで聴くようになった…。


前にも書いたことだが、当時クラスメイトのHが僕のステイ先に毎日やって来て一緒に登校していた。
そして冗談好きのMammyに毎日冷やかされるのも日課になってしまっていた…。
Mammyは悪い人間ではないが毎日同じジョークを言われると萎えるしウザくなってくる。
もちろん当時の僕の英語力の低さに問題があったことは自覚している。
もし僕の英語力が現在と同じくらいあれば、もっと違う話題をふってきただろう。

そんなMammyの冷やかしジョーク攻撃にうんざりしてきた僕は、ある日こう言った。
僕:”To tell the truth, I’m not interested in any girls. So please do not talk about her anymore.”
マミー:”Why don’t you like girls?” (微笑みながら)

オーストラリアの初ホームステイ時代から進化したとはいえ、当時の僕の英語力はしょぼく論理的に説明できなかった。
仕方がないので僕は言った。
僕:”B…Because I love a man…”(汗)
マミー:”Really?” (笑いながら)
僕:”Yes.”
マミー:”Are you sure?” (大笑いながら)
僕:”I’m sure.”

そして翌日から、Hがやって来てもMammyの冷やかしジョークがとんでこなくなった(安堵)。
いつも陽気なMammyだが、毎朝Mammyの含み笑いが気になった…。


ある日の午後、ステイ先に帰宅するとリビングに20代後半の白人英国人がいた。
そんな時は基本英語そのままに”Nice to meet you.”で握手したのだが、彼の手を握った瞬間“ネチョ”とした嫌な感じがした(汗)。
彼は「マイケル」と名乗った…。
Mammy:「マイケルは古くからの友人なの。きっとジュンとも気が合うと思うわよ~」
僕:「何で?」
Mammy:「だってジュンは男好きでしょ?マイケルはホモなのよ♪」

Mammyは彼を「ゲイ」と言わず「ホモ」と言った。
でもいつも冗談ばかり言っているMammyである、僕は彼女の言葉を信じなかった…。
「NO KIDDING!」僕は笑いながら言ってやった…。
するとマイケルが話し始めた…。
「僕の家に中学生の少年がホームステイしているんだ。とてもかわいいよ。もうすぐ一緒に風呂に入ろうかと考えているよ…」
「今までも少年だけをホームステイさせてきたし、一緒のベットで寝ていたよ…」
…と過去の少年遍歴の写真を出して語るマイケル…。

ゲゲゲの鬼太郎の髪の毛なみに危険察知度の高い僕である。
「や、やばい、コイツは本物だ…」すぐに悟った。
今なら「じゃあ、警察に通報しておくね♪」と明るく切り返す応対テクニックを持っているが、
その時は、ニュージランドのホモオヤジを思い出してしまいパニックになってしまった(激汗)。
そんな僕を見ながらMammyはマイケルに言った。
マミー:”JUN loves men a lot.♪”
マイケル:”Oh~,Why don’t you stay my house at weekend?”
超~勘弁してほしい状況である(泣)。

仕方がないので僕は言った。
僕:”To tell the truth, I love women and girls…”
マミー:”I couldn’t catch you~.” (笑いながら)

その時、マイケルが僕の手を握ってきた…(ヒエ-)。
この感触…、まるで蛇を握ったときのようである(汗)。
僕:”I’m so sorry. I told a lie.”
マミー:”Did you tell a lie?”
僕:”Y…Yes…”
マミー:”YOU ARE BAD BOY~♪.”(勝者の笑顔)
そして僕は自分の部屋に逃げ込みマイケルが帰るまで鍵を開けなかった…。

翌日からHがやって来るとMammyの冷やかしジョークが再開された…。
でも内容は「実はジュンは男好きなのよ~♪」とマイナーチェンジ。
語学堪能なHはMammyの話を全部理解し大笑い。
こんな屈辱をうけた僕だが、「この話は帰国後のネタに使えるな~」と直ぐに前向きに考えていたのであった。
















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